仕事について その3 仕事の心得として、幸せ、満足と感動、思いやりを

成長=挑戦

当クリニックでは、「成長」したいと全ての社員が頑張っています。
成長の定義には色々あるとは思いますが、「成長=挑戦」という方程式が一般的なような気がします。

成長が挑戦と関係しているとすれば、「挑戦する」ことはなぜ難しいのかと考えました。
挑戦するということは、今までの自分がしたことのないことにトライするということなので、やったことのないことをする場合には、その後、何が起こり、どういう方向に流れていくのかが予測できないから恐怖心が湧いてきます。

人は想定内のことは受け入れられます。
しかし、想定外のことが目の前に起こると、心が動揺し、正常な判断ができなくなることがしばしばあります。
挑戦とは、想定外のことが起こる可能性が高くなることを行っていくことのように思います。

分かりやすい例が子供でしょう。
人生経験の少ない子供にとって、多くのことが挑戦で、想定できないことだらけだと思います。
それでも子供は、恐怖心よりも好奇心が勝って新しいことに挑戦していきます。

一方、大人は、それまでの人生経験から、できるだけ想定内のことで物事を完結していこうとしますが、好むと好まざるにかかわらず、想定外の出来事が起こってきます。
そういう意味では、全ての人が日々成長、挑戦しているように思います。

全ての人が、長く生きていくことで、少しずつ想定内の範囲が広がってきていることは間違いないでしょう。

子供に比べて、どの大人もいろんな人生経験を重ねてきていることは間違いないけど、大人の中でも成長しているのを実感できる人と、成長していることが実感できない人の違いはどこにあるのだろうかと考えた時に、想定外のことが起こった時に、それを前向きに受けとめるか、後ろ向きに受け止めるかの違いのような気がします。

想定外のことが目の前に起きた時に、「自分の想定内を広げるチャンスだ」と考えるか、「嫌だなぁ~、なんでこんなことが起きるんだ」と考えるかの違いのような気がします。

自分が望むと望まざるとに関係なく、日々、想定外のことが起きてきます。
どうせ、その出来事を受け入れないといけないのであれば、前向きに考えた方がストレスも減るし、得られるものも多くなります。

出来事は変えられないが、その出来事の受け止め方は自分で選べます。
想定外のことが起きた時に、それまでの先入観から無意識で「嫌だなぁ~」と感じることは問題ないと思います。
問題なのは「嫌だなぁ~」と思い続けて,気持ちが逃げ続けることだと思います。

無意識で「嫌だなぁ~」と思っても、どうせ、この出来事と向き合うしかないのなら、前向きに、次に同じことが起こった時に、想定内の出来事になって、どんと構えて受け止められる人間になりたいと思いなおせばいいのだと思います。

私は、死ぬまで「成長」し続けたいと思っています。
そのことを上記の定義で置き換えると、死ぬまで「挑戦」し続け、死ぬまで「想定内」の範囲を広げ続ける生き方をしていくことを今年の抱負としていきたいです。

モチベーション

私はモチベーションを強く意識する時が2つあります。
1つは、社員に仕事を頑張ってもらうこと、あと一つは子供に勉強をさせる時です(笑)
会社を経営している人なら誰でも社員に頑張って仕事して欲しいと思っていると思います。
そして、親なら誰でも子供に勉強を頑張って欲しいと思っていることでしょう。たぶん(笑)

私はクリニックの院長になって23年がたち、長女の父親になって11年がたちます。
長女の場合、勉強をした方がいいと思い始めたのはここ最近なので、これまで私にとってのモチベーションアップの対象は、社員に頑張って働らいてらうことでした。
23年の時間はかかりましたが、うちの社員は高いモチベーションを持って頑張ってくれています。たぶん(笑)

今現在、社員のモチベーションを上げるために悩むことはほとんどなくなってきました。
一方、最近では長女に勉強をさせようと、今は色々と試行錯誤しています(笑)
私の中で、人から強制的に言われたことは、逆にやりたくなくなる、と信じているので、決して直球で「勉強しなさい!!」というのは言わないように心掛けています。

社員に対しても、「あれしろ、これしろ」というよりは、それをする意味と価値を意識的に伝えてきたつもりです。
当然、時間的に余裕がない時やせっぱつまっている時には「あれしろ、これしろ!」と言わざるおえない時もありますが、命令したことは持続性がないと思っているので、こちらとしても同じことを何度も言いたくないので、できるだけ深い部分で共感してもらえる工夫をしてきたつもりです。

おかげさまで、社員に対しては「打てば響く」ような、いい関係ができつつあると感じています。
この成功体験を、自分の子供の教育にも活かしていきたいと思ってはいますが、大人の社員と家族という身近な関係の子供に対してだと、何か工夫をしていかなければ同じやり方ではうまくいかないような気もしています。

基本的に「何をさせるか」よりも「何のためにするのか?」を頭ではなく心に響く話をしていきたいと思っています。
説得ではなく納得させたいのです。

私はいろんな意味で勉強してきてよかった、と思っています。そして子供にも勉強はした方がいいと思っています。
当然、勉強すればすべてがうまくいくとは思っていませんが、勉強することで得られるものはたくさんあると思っています。

私の中では、勉強することの向こう側に、たくさんのプレゼントが見えています。
しかし、自分の子供時代を振り返ってみても、11歳の子供には勉強することの向こう側には、意味と価値がほとんど見えていないような気がします。

見えなくて当然です。
大人には見えていて、子供には見えていない宝物を教えてあげることが大人の勤めではないかと思っています。
うちのスタッフが頑張って働くのは、働く事の向こう側にお金以外のなんらかの意味と価値を見出しているからだと思っています。私の中での仕事の向こう側に見えているものを一生懸命伝えようとしてきた自負はあります。

私が見えている仕事を頑張る事で得られる、仕事の向こう側の宝物と、スタッフが見えている仕事の向こう側の宝物は一緒ではないかもしれません。
しかし、仕事は、給料をもらうためだけにするわけではない、という考えで、頑張る理由を見つけようと頑張っていることは私もスタッフも同じだと思っています。

問題は、自分の子供にそういうことを伝えていく難しさなのです(笑)
いくら伝えたいことがあっても、お互いに信頼関係がなければ伝えることはできません。

社員とは朝礼や交換ノートなどいろいろと伝える機会がありますが、親子では身近すぎてなかなかそういう伝える機会は少ないものです。
子供と信頼関係を築くことを意識して、こちらの言うことに耳を傾けてくれるタイミングを見計らって、少しづつでも自分のいいと思っていることを洗脳していくしかないのかなと思っています。

私が頑張っている理由の1つが、自分が頑張って得た「気づき」を社員や子供など周りの人に伝えていくことがあると思っています。
伝えたい「気づき」を得るためには、淡々と毎日を生きるのではなく、日々目標や目的を持って必死で頑張っていかなければ、何も気づけないと思っています。

気づいては周りに伝え、さらに何かを伝えるために気づきながら自分も成長して、周りも成長できる好循環のスパイラルを目指しています。
そして他人のモチベーションを上げるためには、自分のモチベーションを上げる工夫をしていくことが一番大切なのだと思っています。

モチベーションとは「頑張る理由」なんだと思います。
「何のために頑張るのか?」が、頭ではなく心で感じられれば、人は必ず頑張れるのだと信じています。

頑張りたいけど、頑張れない!?

性善説と性悪説があります。
人は生まれながらにして善なのか悪なのか?

社員教育をしていく時に、「人は生まれながらにして、元々頑張りたい生き物なのかそれとも目を離すと楽をしたい生き物なのか?」どちらのスタンスで接していくべきなのか悩むことがあります。
もちろんケースバイケースで、その人によって違ってくると思います。

自分も人間だから(笑)、自分はどっちだろう??と考えた時に、頑張った先の頑張る意味が見えた時は自主的に頑張っていると思います。
しかし、頑張る意味が見えない時には、楽をしたり手抜きをしている自分に気づきます。

そう思うと、頑張るか頑張らないかは「頑張る理由」によって違ってくるように思います。
だとすれば、頑張っていない人には、「頑張る理由」を示していかなければ頑張れないのだと思います。

私はスポーツジムに行っていますが、運動後に体重計に乗って体重が減っていると充実感を感じることがあります。
特に痩せたいと思ってはいませんが、運動を頑張った結果で痩せると自分の頑張りの一つの指標として体重計は「頑張る理由」になりやすいなと感じることがあります。

私の周りには老若男女問わず、いつもダイエットを目標にしている人が多数います(笑)
そういう人の多くは、心から痩せたいのではなく、「頑張る理由」や「目標」が欲しいだけなのではないかと思うときがあります。(勘違いでしたらごめんなさい)

ダイエット以外で、私が「頑張る理由」や「目標」が欲しいだけなのではないかと思うもう一つのことが英会話です。
私自身、ホームステイを2回したことがあるのですが、2回とも私の周りのほぼ9割が女性の方で、当時は「女性はまじめだなぁ~」と思っていましたが、男性には仕事があるから英会話自体を頑張るというよりも、仕事の延長で英語が必要な人は英語を頑張るが、女性は英語自体が目的なんだろうなと両者の違いを感じています。

英語を勉強すること自体が目的の人と、仕事で必要だから必要に迫られて英語を勉強する人とでは習得速度は何倍も違うだろうと今は分かります。
ダイエットをしたり英会話を習う先に「何のために?」という理由の違いで、継続する人と継続しない人の差が出るのだと思います。

痩せなければ死んでしまうとお医者さんから宣告されたり、楽天のように英語を話せないと会社をクビになるとなれば、最短で英語を習得できると思います。
仕事もダイエットや英会話と同じで、「何のために頑張るのか?」という「頑張る理由」の差が結果に結びついてくるのだと思います。

「頑張りたいけど頑張れない!」という人は、やみくもに気合と根性で頑張るのではなく、頑張る理由を捜すことの方が大切な気がします。
自分の中で頑張る理由が腑に落ちた時に、今までにないパワーがわいてくるのではないでしょうか?

頑張る理由1

親から「勉強しなさい!」と言われて勉強する子供なんているのだろうか?
「勉強しなさい」と言われてするのは勉強している「ふり」だけなのだ。
大人も子供も、人から「やれ!」と言われて本気でやるはずがないのだ、怒られたくないから「ふり」をしているだけだ。

何かを本気でしている時は、必ず自分から「やりたい」と思ったことだけなのだ。
少なくとも「嫌だな」と思いながら、いいパフォーマンスができるはずがない。
大人だって一生懸命仕事した方がいいのは頭では分かっているけど、実際には多くの人はただ普通に仕事しているだけなのだ。

子供だって頭では勉強した方がいいのは分かっているのだと思う。……たぶん(笑)
大人も子供も頑張るためには、頑張る理由が必要なのだ。
「何のために頑張るのか?」その理由がある人は、人から言われなくても自分から進んで頑張るのだ。

本を読むことひとつとっても、その本を読む理由を持っている人となんとなく読む人とでは得られる結果が大きく違ってくるのだ。
「何をするか」よりも「何のためにするか」の方が何倍も大切なことに気づいてきた。

でも「何のためにするのか」の答えは、自分で考えるしかないから簡単ではない。
簡単ではないからこそ、その答えが自分にフィットした時に、自分の思っていた力以上の力が発揮されるのだと思います。

「何のために」の追求は頑張るエネルギーなのです。

頑張る理由2

人は頑張るためには「頑張る理由」が必要だと私は思っています。

若い時には「異性にもてたい」「お金持ちになりたい」「周りから評価されたい」など自分勝手な理由でも頑張ることが出来ました。
しかしながら、52歳になって人生も後半戦になってくると、若い時の自分中心の「頑張る理由」では、心のやる気スイッチがONにならないのとを感じます。

若い時の「頑張る理由」は、自分勝手なものでも仕方のないような気がしますが、年を重ねるごとに「頑張る理由」を利他の方向や社会的な貢献に方向転換していかなければ、今の恵まれた日本では、継続的に頑張れない人が多いようにも感じます。

以前、千利休が石田三成に「豊臣家の存続のために庶民がいるのですか?それとも庶民のために豊臣家が存続するのですか?」ということを問うていた場面がテレビでありましたが、「うちのクリニックが存続するためにスタッフや患者様がいるのですか?それともスタッフや患者様のためにうちのクリニックが存続しているのですか?」ということを自分自身に問うた時にどちらを選ぶかで、私の行動は変わってくると思います。

「うちのクリニックが存続するためにスタッフや患者様がいる」という考えで経営していけば、社員も患者様の心も離れていきますが、
「スタッフや患者様のためにうちのクリニックが存続している」というスタンスで経営していけば、結果的に社員や患者様がうちのクリニックを存続させてくれます。

経営ではよく「信用が先、利益はあと」ということを言われます。
利益が出なければ会社は倒産しますが、その利益をねん出するためには「信用」してもらう言動を積み重ねていかなければなりません。

自分の存在理由やクリニックの存在理由は、社員や患者様が評価するものだと思います。

誰しも自分がかわいいのは本能ですが、その気持ちを抑えながら生きていくことで、まわりまわって自分にも後利益が来ることを信じて生きていけるかが試されているような気がします。

人格者は、まわりまわってくる後利益さえも期待しないのだと思いますが、いつかはそういうレベルに達することを期待しながら、今の自分は急がば回れで、「頑張る理由」を「利己」から「利他」の方向や「社会的な貢献」に方向転換していくことを意識しながら生きていきたいと思っています。

「食っていければいいので......」

仕事での今後の方針を聞かれた時に「食っていければいいので……」ということを言われる方が多いです。
自分を含め99%の人はそう思っているような気がします。
自分で言ったり、他人がそう言うのを耳にしていて、最近は少しずつ違和感を覚えるようになってきました。

「食っていければいいので……」という姿勢で仕事をしていたのでは、現状維持でいいということになってきます。
私の中で大切にしている「昨日より今日、今日より明日」成長していくのが人間の正しい在り方である、という考え方に反してしまいます。

そもそも「食っていければいいので……」という姿勢で仕事をしていても、もっと言えば生きていても充実感がありません。
昨日までの自分で満足であるなら、これ以上努力する気持ちが失せてしまいます。

「食っていければいいので……」というのはお金のことを言っていますが、突き詰めて考えれば、「これ以上努力したくないので……」といっているのと同じ言葉のように聞こえます。
日本という恵まれた環境だから、こんなことを言えるのだと思います。
発展途上国の人は、頑張っても頑張っても、3食を食べていけない国がほとんどです。

食べていけるかどうかは結果論であって、頑張る前から「食っていければいいので……」という思いでは、「昨日より今日、今日より明日」成長していくのは不可能だと思います。
頑張ったけど「食っていくのが精いっぱいだった」というのはOKですが、頑張ればもっと前進できたのに、「食っていければいいので……」という気持ちで自分が努力しないのを正当化していくことはNGだと思います。

人間は必死に生きなければいけないと思います。
どのレベルを持って「必死」というかは個人差があると思いますが、自分以外の人の為、世の為人の為、という気持ちを忘れないで生きているかどうかということが、「必死」かどうかの一つの基準ではないかと感じます。
恵まれた日本だからこそ、「必死」に生きていく中にしか「幸せ」は見つけられないのではないかと感じます。

夢と現実

私には2人の娘がいますが、娘の将来について考えることがあります。
好きなことをさせて個性を伸ばしてあげたいという気持ちと、現実的に堅実に生きて欲しいという気持ちと揺れ動く事が日々あります。

ところで話は変わりますが、私は歯科医師でgreeeenというグループが歯科医師と歌い手の両立をしているということを耳にして、私なりにそのことを「自分だったら……」「もし娘が同じ立場だったら……」という視点で考えることが最近よくあります。

せっかく歯科医師の免許を持っているのだから、その資格を活かさないのはもったいないとか、浮き沈みの激しい芸能界で成功し続けることは難しいので、堅実な歯科医師としての道をキープしておいた方がいい、という考え方が大半なのではないかと思います。

10代、20代の生き方として「夢を追うことが素晴らしい」というムードがありますが、30代40代以降の生き方として、「堅実こそが素晴らしい」という流れに変わってきているような気がします。

夢や希望だけでは生きていけない、生活できてこその夢だ、という考え方が基本なのかもしれません。
そういう点で、夢や理想と現実には何か大きな壁があるような気がします。
話を戻して、もしも自分がgreeeeenだったらと、考える時に、どちらの選択肢を選ぶかの判断基準として、夢か現実かどちらを取るかという視点以外に、考えていく基準というものがあるのではないかと思えてきました。

50歳を過ぎて人生も折り返して、あと何年生きていくかも分からない時期に来て、これから生きていくうえで大切なことは、自分が何の役割としてこの世に生を預かったのだろう、何を頑張っていくことが世の為、人の為になっていくのだろうか?ということを価値観の基準に設定することも大切なのではないかと感じてきました。

そういう点で考えると、歌い手として多くの人に夢と希望と勇気を与えている今の社会への貢献と、歯科医師として診療を通じて社会に貢献することと、彼らにとって、どちらの方が世の中の役にたっていけるかという視点で考えると、甲子園の行進曲にもなっている地位を築いているのに、その才能とエネルギーを分散するのは何かもったいないような気がしてしまいます。

歌手もグループになると自分の人生だけではないので、自分の考え方だけで物事を決断できないのだろうから、いろいろと難しい決断なんだろうな~と同情してしまいます。
今、ラグビーの清宮監督の息子さんがラグビーと野球の二刀流から野球に専念するということがニュースになっていますが、神は天に2物を与えてしまうと、どちらを選ぶかの選択に悩んでしまうんだな~と感じます。

私はgreeeenの歌をよく知りませんが、彼らの歌を熱心に聴いている娘を見ると、せっかくそういう才能を神様から授かったのであれば、自分だったら……歌を通じて世の中に貢献していくのが天命なのではないかな~と考えてしまいます。

これって、人が当てた宝くじを「自分だったらどう使うのにな~」と考えることと一緒で、凡人の私が、勝手に妄想する、余計なお世話なことは百も承知していますので、greeeenのファンの方は、戯言と聞き流してください。失礼しました。
才能ある人って悩みも多いのだろうな~と思うと、凡人でよかったな~と感じる今日この頃です。(笑)

欲望VSビジョン

お金を儲けることは人間の欲望を追求していることに繋がるので、多くの人は快く思いません。
物欲、金銭欲、名誉欲、性欲、出世欲・・・・・・人間の欲望は抑える気持ちが尊いのであって、欲望を追及する人間は人間的に卑しい人間だと考えられています。

欲望を追及する人間のタイプとして、自分のことだけを考える利己的人間がイメージされます。
昔の修行僧はそういう欲望を打ち消そうと日々努力を重ねてきました。
しかし、そういう煩悩を打ち消したいということも欲望の一つではないかと言う人もいます。

結論からいいますと、多くの凡人にとって人間の欲望を打ち消すことは不可能です。
打ち消そうと意識すればするほど脳裏から離れなくなってしまいます。
欲望を完全に消すことができないのであれば、それをプラスのエネルギーに変えていけばいいのです。

お金や物や名誉など欲しいものがあるのであれば、それを行動するエネルギーに変えていけばいいのです。
崇高なことを考えていても何も行動しない人よりも、動機は不純であっても結果を出しているうちに動機も更正されてくるものなのです。

自分の中の低俗な欲求を素直に認め、それを自分のエネルギーとして行動し、いい結果が出たらそのことに感謝していくうちに、徐々に人間としての本能である「人の役に立ちたい」という人間としての使命感などに気付いていくものなのです。
そのためには、自分の欲望をきちんと見つめることがスタートになってくる場合が少なくないのです。

人間は実績を積むにつれて人間としても成長していくものなのです。
若い時は特に、まずは、利己からスタートしてもいいのです。
利己を追求していくことに疑問を感じたり、疲れてきたりした時に、自然と利他に目を向けるようになるのだと思います。

ビジョンとは欲望に使命感、大義が付いたものをビジョンというのだと思います。
利己だけのものを欲望といい、利己に利他が混ざったものが、共感してくれる他人を巻き込めるビジョンに代わってくるのだと思います。

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